Who am I? 東京公演

BURNOUT SYNDROMES

15th Anniversary Tour「Who am I?」

2019.12.20(金) @ZeppTokyo

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開場どころか、先行物販さえはじまらない時刻にも関わらず、ZeppTokyoの看板を見つけて思わず駆け出してしまうような一大イベント当日の気持ち。どんなひとが来るんだろう、この会場がどれくらいのひとで埋まるんだろう、そんな不安は心の片隅には残っているけど、初日名古屋での頼もしさを知っている私には、胸躍る気持ちの方がずっとずっと大きかった。BURNOUT SYNDROMES、史上最大キャパ。1階フロアだけで2400人以上も収容できるこの会場で、彼らはどんな姿を見せてくれるんだろう。


開演時刻を過ぎ、舞台、照明、音響、楽器と最終確認は進むなか、スクリーンに現れたのは明星ツアーでは見慣れた懐中時計。演出の都合上、時間軸が少し歪んでいる。30秒からはじまったカウントダウンに合わせて手拍子でライブのスタートを煽るフロア。前回ツアーと同じオープニングに勝手知ったる心地を覚えて、少し気を緩めたのは気が早いと言わんばかりに、ラスト10のカウントダウンからは大袈裟なまでにド派手な映像効果に変わった。意気揚々と声を上げてカウントダウンを続行。これから何が起こるのかと期待を十二分に孕んだ声がフロアに響くなか、突如、映像が乱れ、そして止まった。後方から漏れ聞こえる戸惑いの声に思わずほくそ笑んでしまう。そして、間。スクリーンは乱れた映像効果、カウントダウンは3で止まったまま。前回ツアーの経験から外れた展開への混乱とどよめき。この一瞬の戸惑いが、この先の展開への期待を一層高めてくれている、なんて憎い演出なんだろうって少し俯瞰で思えるのはツアー2公演目の心の余裕。初日名古屋では私自身もあの戸惑いの渦中にいたんだ。

ステージ上で楽器の最終チェックをしていたスタッフさんが微動だにしなくなったことが、これは映像トラブルの類ではなく、時間が止まった演出なのだと教えてくれる。

 

焦らすような間の後、ステージに怪しげなSEが流れ出し、現れたのは公演のポスターに描かれた人物。フライヤーのカラーリングを擬えるような赤と緑の照明に照らされながら彼は「私は当劇場の支配人です」と告げ、Mr.Whoと名乗り、「彼らとみなさんとの絆は本物なのか」と投げかける。それを確かめるために、楽屋で待機するメンバーに「ちょっとしたトラップを仕掛けた」と続けた。

スクリーンには楽屋の監視カメラ映像が投影された。開演直前のリラックスした雰囲気のメンバーと、さわるな!キケン!と注意書きがされた楽屋にあるには如何にも不自然なレバー。熊谷さんと廣瀬さんの制止を無視してレバーを下ろした石川さん。そして、感電。これは完全に余計なことしたいしかわたいゆーが悪い。

見事に、Mr.Whoの思惑にひっかかり、BURNOUT SYNDROMESが記憶(意味記憶ではなくエピソード記憶。ex.ティッシュはまずい)を失った。記憶も曖昧なままライブを開始し、オーディエンスの力を借りて徐々に記憶を取り戻す……という展開。この説明がどれくらい意味を成してるのか、考えるのはやめる。自分でも読んでて意味がわからない。百聞は一見にしかず、ってこういうときに使うんだって思う。

 

東京の分岐点、一つめは、初日名古屋と同じ左手ルート。思わず漏れたであろう嘆きの声に、まだ2公演目だよ、さすがに欲張りすぎでは、なんて胸の内で思っていた。懸命に右手のときに拍手したことは都合よく棚にあげた。


記憶も曖昧なまま、フロアの助けを借りて滞りなく遂行されたメンバー紹介のあと、再び次の曲がわからない、と止まってしまった3人。「歌いはじめて」と熊谷さんに助け舟を求める石川さんに、「歌い出してもいいねんけど、ここはビートがないと…」と廣瀬さんに回す熊谷さんに対して「こういうときって、タイトルコールから…」って石川さんに戻す廣瀬さん。それに便乗する熊谷さん。ここが2つめの分岐点。Mr.Whoが何を使って次の曲のヒントを出すかを"#バーンアウトのワンマン"を付けた投稿での投票で決定する仕様(でもたぶん結果は予め用意されているんだと思う)。窓、ピアノ、電話の3択から選ばれたのは、窓だった。

開けた窓、どこからともなく聞こえてくる、電車の音がガタンゴトン。最初に私が思い浮かべたのは君は僕のRainbowだったけど、違った。突然の音に最初は不審がるメンバーも、電車というワードを得て、次の曲を思い出した。

廣瀬さんが刻むビートが作り出した雰囲気はずば抜けて素敵で、完全に飲み込まれたくて俯いて瞼を閉じた、もう一つあった電車の歌、神戸在住。あれ?と違和感を感じてふと顔を上げると、視界に捉えたのはギターを持ち替えている熊谷さん。アコギ鳴らなかったのかな。要するにこれはトラブル。でも歌声は僅かも途切れない。対応は迅速で、ステージに休ませてたSGに持ち替えて、手早くチューニングの確認、そのまま続行。廣瀬さんの入りがすごくすごくよかったから、悔しさともどかしさで少し歯痒かった。でも同時に、中断させないその気概に魅せられた。良し悪しではなくて、嗚呼、ライブなんだなあと思った。

アコースティックワンマンで聴いた神戸在住は、聴いていて日常にだって隣り合わせにある死の存在を認識させられたようなじっとりと汗ばむような雰囲気だったけど、この日はなんだか少し強い。ギターの音色に合わせて歌い方って変えるのかな、なんてぼんやり考えてた。


「みなさん楽しかったですか。今年はどんな年でしたか。僕は、解散や脱退のニュースが多かった1年だったと思います。(ここでアラシック石川大裕の力強い相槌が入る)僕らよりも上手くいっているようなひとたちがです。何がそんなに不安なんだろう、と。そんなときに僕は、不謹慎かもしれないけれど、少し安心したんですね。どんなに成功しているひとでも、何か悩んでいる。それぞれに悩みがある、みんな同じなんだと、だから僕はひとりじゃないと安心したんです」

「今日、レターボックス本当にいっぱい入ってたね。ありがとう。手紙じゃなくたっていい。あなたたちがあげる声やその手や拳、そのひとつひとつが僕らへのメッセージなんです。最後にその返事をしようと思います」

そうやってはじまったアンコール最後の最後の曲、ラブレター。は何度受け取ったってこの日この場所だけの大切なものだ。

「このタイミングで聞いてもいいかな。今日バーンアウトシンドロームズはじめて観るってひと、手挙げて。おお!結構いるね!!どうですか?変なバンドでしょう?よく言われるんです。君たちは変わったバンドだねえって。ギタボは全っ然喋りたがらないし、ドラムがSE鳴らして映像まで作ってるし、ベースの主張が…激しい(強調)(石川さん叫んで主張してる)(確かに激しい)。でもこれが僕らなんです。我を貫いて進んできた僕たち3人と、ここにきてくれるあなた、含めてバーンアウトシンドロームズです。わかったか東京!」

何度も言うけど、この日の公演は、バンド史上最大キャパ。その空間で爽快に言い放った、これがBURNOUT SYNDROMESだ!という宣言。ツアータイトルでもあるWho am I?の明確で揺るぎない答えがそこにあった。

 

終演後、背後を振り返って、人の多さに驚いた。後ろの後ろまで視界に捉えきれないほどの密度、これだけの人数の前で、不遜も不足もなくBURNOUT SYNDROMESは存在した。不思議と、感極まるような熱はなく、ただ、この規模でこれだけの人数の心を掴む、魅了できる彼らがいるという事実を静かに確認したという感覚だった。嗚呼、ここまできた、よりも、ここに居る、そして、漠然とではあるけれど、この先もっとこの人数は前にも後ろにも増えていくんだなあと確信を得たような気がした。もしかしたら、この感覚はどこか楽観的ではあるのかもしれないけれど、そう思うには充分過ぎるものを目撃したと私は思っています。